「筑波研修で樹木医の資格以上の財産を得る」
23期 山口 真之介
私が樹木医を目指した動機は、学生時代の友人が前年度の樹木医合格者だったからです。それまで私にとっての樹木医というのは、経験豊富な年輩の方々が取得されるイメージが大きく、自分が受験するとは思ってもいませんでした。転機となったのは東京で13年間働いた会社を辞め、地元の山形に戻った事です。生活環境も変わり、勉強できる時間を確保し易くなったので、受験することに決めました。
とりあえず樹木医を目指すにあたり必要な「樹木医の手引き」を見て勉強しようと思ったのですが、これが何とも難しい内容で、難しい漢字や専門用語が多くそれを一つ一つ理解するにはとても時間が足りないと思われました。そこで、独学では理解出来そうにない所は捨て、少しでも理解できる所を勉強していきました。試験での論文対策は、正直何もしていませんでした。理由としてはどんな問題が出るかを絞るのが難しかったからです。論文対策の対処法として、今まで培った経験で対応していこうと思っていました。こうして不安材料だらけの状態で受験したのですが、結果は幸運にも見事1回目で合格!自分が一番びっくりしました。やはり論文は今までの経験を活用した論述回答の出来が、良い結果に繋がったと思いす。
しかし、合格出来て良かったと思うのも束の間、筑波での2週間の研修で、自分の樹木医としての学力の無さを痛感しました。毎日のようにテストがあるので、自分で予想問題を作り皆と一緒に勉強しながら必死に頑張りました。同じ目的をもった仲間達と一緒に過ごした2週間は、樹木医の資格以上の財産になったように思えます。この出会いと感動は、樹木医を目指さなければ体験できません。
山形では残念ながら樹木医の人数は少なく、認知度も低い様です。若い世代として、これから山形を代表するような樹木医となっていくのが、私の目標です。私の周りに樹木医の先輩や先生は居ないという現実はありますが、仲間との交流や勉強会等に少しでも参加して胸を張って「自分は樹木医です」と言えるように頑張っていきたいです。