「(無題) 」
26期 北原 誠
昭和58年4月に、岩手県の小岩井農牧株式会社に入社して以降、造園関連の現場業務に携わってきました。その間、先輩の樹木医の指導のもと、調査や治療を行う機会は度々あったものの、自ら樹木医資格を取る必要も感じず、会社も特に受験を要求しては来ませんでした。
そんな、現場を作ることだけにやりがいを感じていた人間に、平成27年12月、仙台で営業を担当するよう会社から命令が下りました。中学1年の子供をカミさんに押し付け、単身で仙台に赴任しました。
仙台は、沿岸地域を中心に、復興工事が盛んに行われていました。仙台の町を見て私が感じたのは、街路樹や緑地の樹木が虐げられていないことでした。市の条例の影響もあり、築年数の経過したマンションなどでは、かなり大きい樹木も存在し、しばしば、それらの扱いについて相談を受けました。そうした折に、よく聞かれるのが、私が樹木医を持っているかどうかでした。こうして、
①営業業務のため、時間を操作しやすくなった。
②アパートで夜、勉強する時間ができた。
③仙台に当社樹木医が不在だった。
④カミさんからステータスアップを命令された。など、樹木医を受験するきっかけが発生。それから、アパートで「樹木医の手引き」を使った数十年ぶりの勉強が始まりました。
しかし、いざ始めてみると脳みそに新しいことを詰め込むことがなんと難しいことか。そこで、大学時代の教科書、土壌学、植物病理学、森林生態学、植物形態学の教科書を引っ張り出し、過去の記憶を発掘する作業も並行して実施することにしました。これが意外とはまった「脳が新たな知識を拒否するのなら、過去の記憶を鮮明化する作戦」でした。
最後に、2週間の講習を一緒に受けた仲間の一人が若くして、事故により命を奪われたことは残念でなりません。ご冥福をお祈りします。